「人間(じんかん)ー(人は「間(かん)」に苦しみ「間」を考える存在である」

私は一日のうちに幾度も怒ったり憎んだり短気をおこす「地獄」の世界 から、あつかましい欲望に狂う「餓鬼」、本能をたくましくする「畜生」の世界の間を日常生活の中で行い、さらには根無し草のような淡い快楽ゃ幸福に有頂天になる「天」の世界の間をうろつきまわり、絶えず反省し、自分をいやに感じます。しかし、その間でも勉強したり、暁天坐禅をしたり、混雑する電車の中では席を譲ったり、荷物を膝の上に置いてあげたりする一面もあります。このように好ましい世界と好ましくない世界の間を果てもなくづけているのが瀨戸川勝裕という人なのであります。ここに人は「間」に苦しむとともに「間」を考える存在でもあります。