八正道①「正見」 正しくものを見る
「正見」とは自分だけが正しく見るものではなく、正しく見せしめられる縁が正しく見えてこそ正見に価するものです。見ていて正しく見ないことを邪見といい、ゆがんだ不生な見方で因果の道理を無視し見るのを妄見といいます。「仏心を見るものは、仏心にまみゆ」古人は言います。仏像や仏画見るものは、その仏心の中に「ほとけのこころ」つまり真実を自己の出会うということです。鏡を見て自分の真実の姿が写し出されていることに気が付きましょう。
八正道①「正見」 正しくものを見る
「正見」とは自分だけが正しく見るものではなく、正しく見せしめられる縁が正しく見えてこそ正見に価するものです。見ていて正しく見ないことを邪見といい、ゆがんだ不生な見方で因果の道理を無視し見るのを妄見といいます。「仏心を見るものは、仏心にまみゆ」古人は言います。仏像や仏画見るものは、その仏心の中に「ほとけのこころ」つまり真実を自己の出会うということです。鏡を見て自分の真実の姿が写し出されていることに気が付きましょう。