「たき木は、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといえども前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり、かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。(現成公案) 薪と灰の原因・結果関係は閑禅にひていされているのみならず、時間の経過も否定され、前後という相対的す関係も否定されている。あるのは「今ここ」という概念だけである。