「心が根本。これを見るのが禅である。」 自分を見つめる。己を知る。自己究明。などといい、自分の根本である心をみつめる。これを知ることが禅であるといわれています。心は姿がないので眼で見ることができません。心を見つめるといわれても説明できません。そこで「黙」するしかないわけです。したがって禅は「不立文字」と表現されています。禅は坐禅しなければ判りません。