「おのれこそ おのれによるべぞ おのれを措きて 誰がよるべぞ よく ととのえし おのれこそ まこと得がたき よるべをぞ獲ん」(法句経160) :自分自身こそ己の師であり拠り所である。一体己れ以外に師となり主となるであろうか。よく抑制された自己こそ 他に得がたいまことの叡智を見いだす主体なのである。