「証の得否は、修せんものおのづからしらんこと。用水の人の冷暖をみづからわきまふるがごとし」(道元:弁道話) 悟りを得ているか否かは、修行しているものがおのづから知ることであり、水を使う人が冷たいか温かいかはじぶんで感じわけるようなものである。