「帰依というところの帰は、帰投であり、依は依伏である。」仏は、とりもなおさずおおいなる師であるから帰依するのである。法は、良き薬(教え)であるから帰依するのである。僧は、優れた友であるゆえに帰依するのである。つまるところ衆生をして生死をはなれ、ついにおおいなる智慧を悟らしめる。そのゆうにそこに帰するのである。(道元:正法眼蔵・帰依三法)