うおにあらざれば、うおのこころをしらず、とりにあらざればとりのあとをたずねがたし。」そのような道理は仏にもあるのである。仏は、仏が幾代この世にあって修行なされたかなど、大きな仏も、小さな仏も一人残らず知っておられる。それはまだ仏にならなかったころにはとても知り得ないことである。いろいろな仏の足跡を検討していくと、そのうち、仏の足跡の長短も深浅も判ってくる。そのように仏の足跡を明らかにするのが、仏法というものである。(道元:正法眼蔵・唯仏与仏)