「経巻に従うということ」経巻というものは、それに従ってまなんでいるうちにまことの経巻がでてくるものである。その経巻というものは十方世界のすへてがそれである。それは仏祖の眼晴となるものでありあるいは仏祖の骨髄とされてきたもので、徹頭徹尾正しいのでる。仏祖たちは、経巻に従って修行を重ね、悟りをひらいてきたものである。知識に従うのも経巻に従うのもすべては、すべては自己に従っているのである。自己の知識であり、自己の経巻である。(道元:正法眼蔵・自証三昧)