「自証自悟ということ」仏祖の大道には、自証自悟という道具があってそれは正しい嫡子たる仏祖でなければ正伝せられない。人のために説くということは、かならずしも自他の問題ではないのである。他のために説くとしいうことは、とりもなおさず自己のために説くことに他ならないのである。仏祖の大道をゆかんとするものは、ただまさに自己の初心のころの参学をおもいめぐらして、他者の初心の参学をいとしみ憐れむがよい。おのれの修行のごとく他にもまた修行を勧めるのがよいのである。(道元:正法眼蔵・自証三昧)
「自証自悟ということ」仏祖の大道には、自証自悟という道具があってそれは正しい嫡子たる仏祖でなければ正伝せられない。人のために説くということは、かならずしも自他の問題ではないのである。他のために説くとしいうことは、とりもなおさず自己のために説くことに他ならないのである。仏祖の大道をゆかんとするものは、ただまさに自己の初心のころの参学をおもいめぐらして、他者の初心の参学をいとしみ憐れむがよい。おのれの修行のごとく他にもまた修行を勧めるのがよいのである。(道元:正法眼蔵・自証三昧)