順現報受の業について」順現報受の業とは、もしその業をこの生においていとなみ、それが生長して、この生においていろいろの果を受ける。これをいう。つまり、人があって、あるいは善にもあれ、あるいは悪にもあれ、この生において業をつくって、そしてこの生においてその報いを受ける。これを順現報受の業というのてある。恩をうけては、それに報いんことをこころざさねばならない。他に恩をほどこしては報いを求めてはならない。恩ある人に逆しまに害を加えようとする悪行には、必ずその報いを受けねばならない。これを悪の順現報受の業という。父母・師長をうやまい、仏祖・先達をうやもうて、もろもろの善を修すること、これを善の順現報受の業という。(道元:正法眼蔵・三時業)