「出家功徳17」道を学ぼうとするもの、かならず善き友に親しみ近づくがよろしい。善き友とは、もろもろの仏のましますことを説く人々であり、また罪ということがあり、福(さいわい)ということがあると教えるものなのである。因果を否定しないのが善き友であり、善知識というものである。そのような人々の説くところこそ、正しい教えというものである。またそのような道理を思うことこそ、善き思惟というものであろう。そして、そのように行ずることこそが如法に行ずるのである。(道元:正法眼蔵・出家功徳)
「出家功徳17」道を学ぼうとするもの、かならず善き友に親しみ近づくがよろしい。善き友とは、もろもろの仏のましますことを説く人々であり、また罪ということがあり、福(さいわい)ということがあると教えるものなのである。因果を否定しないのが善き友であり、善知識というものである。そのような人々の説くところこそ、正しい教えというものである。またそのような道理を思うことこそ、善き思惟というものであろう。そして、そのように行ずることこそが如法に行ずるのである。(道元:正法眼蔵・出家功徳)