「出家功徳21」仏は人々が皆善き性質と善からぬ性質を具えていることは知っている。だが人はそのような性質を具えてはいるものの、ともすれば、一切の善き可能性を無くしてしまうこがある。それはいったいなんの故であるか。それはそのような人々は善き倶友に親しまず、正しい教えを聞かず、善きことを思わず、教えのように行じないからである。そのため、善き可能性を無くして、善からぬ可能性をのみ具えることとなる。そのため出家して戒を受けるがよい。これが釈尊の正法というものであめ。(道元:正法眼蔵・出家功徳)
「出家功徳21」仏は人々が皆善き性質と善からぬ性質を具えていることは知っている。だが人はそのような性質を具えてはいるものの、ともすれば、一切の善き可能性を無くしてしまうこがある。それはいったいなんの故であるか。それはそのような人々は善き倶友に親しまず、正しい教えを聞かず、善きことを思わず、教えのように行じないからである。そのため、善き可能性を無くして、善からぬ可能性をのみ具えることとなる。そのため出家して戒を受けるがよい。これが釈尊の正法というものであめ。(道元:正法眼蔵・出家功徳)