「梅華」先師古仏が申される。雪の中の梅華いうような垂示は、まったく比類を絶した希有の教えである。われらは、日ごろ、幾たびとなく雪中に梅華のひらくを見ているけれども、それが我が仏なる釈迦牟尼仏の瞬目であろうとなどとは、気もつかないで、ただぼんやりと破顔の機を逸してきたことであろう。だが、いまやすでに先師古仏は雪の中の梅華を、これど如来の眼晴であると正伝せられ、われらはそれを拝承した。(道元:正法眼蔵・梅華)
「梅華」先師古仏が申される。雪の中の梅華いうような垂示は、まったく比類を絶した希有の教えである。われらは、日ごろ、幾たびとなく雪中に梅華のひらくを見ているけれども、それが我が仏なる釈迦牟尼仏の瞬目であろうとなどとは、気もつかないで、ただぼんやりと破顔の機を逸してきたことであろう。だが、いまやすでに先師古仏は雪の中の梅華を、これど如来の眼晴であると正伝せられ、われらはそれを拝承した。(道元:正法眼蔵・梅華)