「また長沙禅師はおおせられた」「十方世界は、自己の光明の裏にあり。自己の瞼一枚が自己の光明である。自己の眼を開明するのを、光明のうちというのである。自己の眼を開明したときは光明も脱落して、十方世界そのものが自己の光明である。つまり自己の凡夫眼を脱却して、仏眼を得ることを十方世界というのである。是れは坐禅の体験によらなければ知ることはできないのである。(道元:正法眼蔵・十方)