「見仏とは」

「若し森羅万象の現象が仮りの相であっても、それが真実の相であると見ることは、仏(真理)そのものを見ることである。この観察は、あらゆる物事は、ありのままのもの、自己が自己の丸出し、他の何ら拘わりのない、すなわち透脱(解脱)そのままの相である。この解脱の相が仏の相である。ゆえに仏をみることなのである。」(道元:正法眼蔵・見仏)