方眼文益の言葉「もし仏のもろもろの相は、仏の相にあらずと見るならば、すなわち仏にまみえることはできまい。」つまり、ここにいう諸相とは、如来のもろもろの相であって、そこには一相として、如来の相にあらざるものは混じえてはいない、だからそれらの相は、いずれも仮にも非相といってはならない。いずれの相も如来の相ならざるものはないのであるから、諸相はそのまま諸相として頂くのがよい。ぴたりと決定して信じ受けまなび受け、口に唱えてその利を受けるがよい。人は自己の唱える言葉ひとつにも転ぜられ、自己が一転して仏祖を見る眼もまったく新しゅうなるものである。それが仏祖の家における常のことである。(道元:正法眼蔵・見仏)