「法華経を信ずるがゆえ、また深く仏の寿命を甚だ長きを信ずるがゆえに、それでこそ娑婆国土に生まれたいと願ったものである。如来には不思議な力があり、慈悲の力があり、寿命長遠の力があって、それを心にあてて信ずるのであり、身にあてて信ずるのてある。その信ずることが、とりもなおさず仏を見ることである。心の眼があって仏をみるのであり、信ずる眼があって仏をみるのである。(道元:正法眼蔵・見仏)

「釈迦牟尼仏大衆に告げて言われた」「若善男子善女人 聞我説寿命長遠 深心 信解 則為見仏常在 耆闍崛山(ぎじゃくせん) 共大菩薩・諸声聞 衆囲遶(にょう) 説法。又見此娑婆世界 其地瑠璃 坦然平正」深心(じんしん 深く信ずる心)信解(教を信じて了解すること)大菩薩・諸声聞 大乗の行者・小乗の聖者の意)