「雲雷音宿王華智仏なる仏は妙荘厳王に告げていった。」「大王よ、まさに知るがよい。善知識というものは、おおいなる因縁である。その導きがあって人は、はじめて仏を見てたてまつり、無上の智慧をもとめようとする心を発すことができるのである。仏の世界にあっては、いわゆる過去は心頭である。心の中にある。現在は拳頭である。いまここにある。未来は頭の後ろであ。すぐうしろにある。見仏ということばは三世のどの仏にも通じる。(道元:正法眼蔵・見仏)