「拈得仏祖、失却鼻孔」仏祖を拈得し、鼻孔を失す(仏祖はつかまえたが、その急処は見失った。鼻孔は眼睛とともに正法の急所・真髄を意味する。

「遍参の道理」「遍参の道理を究め尽くすと、脱等遍参なり。「海涸れて、底をみず」であり、「人死して心を留めず」である。海が涸れるといえば、海がすっかり涸れしまうことである。しかるにもし、海がもし涸渇してしまえば、底はないのである。あるいは、留める留めぬというのも、すべて人の心である。人が死んだ時には、心もまた留まらないのである。死をもってきたから心も留まらないのである。だから人というはすべて心であり、心というはすべて人であるとしられるのである。そういう具合に考えるのがよくことの表裏を学び究めるということである。(道元:正法眼蔵・遍参)