「天童如浄禅師のことば1「先師なる如定古仏はいった「達磨の眼睛をえぐり出し、泥の団子をつくって人をたたく」海は涸れて底に徹することを過ぎ 波浪は天をうって高しじゃ」打人とは人をたたくことは、人を作るというところである。老師にたたかれるから 人々ははじめてそれぞれの面目をあらわししてくる。たとえば達磨の眼睛をもって人々をつくったのだという。つまり眼睛をもって打たれてなれる人々であるからいま僧堂において人を打つ握りこぶしも 法堂において人を打つ拄杖も とりもなおさず達磨の眼睛にあらざるはない。達磨の眼睛をえぐり出し、泥の団子をつくって人をたたくとは、今の人たちが老師を訪ねて教えを乞うとか早朝に法堂にのぼって参禅するような箇とをいう。(道元:正法眼蔵・眼睛)