「天童如浄禅師の言葉4」ある時は、霖々として大いに雨が降り、ある時はからりとして大いに晴れ、あるいは蝦蟇が啼き、あるいは蚯蚓が鳴く。されど古仏はかってす過ぎ去れることなく、つねに金剛の眼睛を発揮してきた。ここにいうところの金剛の眼睛とは、霖々たる大雨であり、からりとした青空であり、啼く蝦蟇であり、鳴く蚯蚓である。それらは決して過去のものとはならないから、古仏なのであろう。古仏というものは、たとい過去のものとなっても、その過去はけっして古仏ならぬものの過去とは同じではないのである。(道元:正法眼蔵・眼睛)四季の写りその者を指して古仏の眼睛になぞらえて説いているようである。