「天童如浄のことばその1」「記得す。僧百丈に問う。如何なるかな是れ奇特の事。百丈曰く、独坐大雄峰。」「大衆動著することを得ず。且く者漢を殺さず坐教す。(わたしがが記憶しているところによると、あるとき一人の僧が百丈禅師に問うたことがある。いったい未曾有のことと申しますのはどのようなことでございましょうか。百丈禅師は答えておおせられた。それは百丈山がたった一人で坐っていることだよ。誰も動かすことはできない。しばらく其奴をじっと座らせておくしかあるまい。)各々の本来の面目に徹すべきであり、それは坐禅に徹し尽くすことである。坐仏をして殺仏たらしめることである。奇特とはごく当たり前の事をいつまでも休みなく続けてゆくことである。喫飯もしかり、大雄峰に独坐すること即ち喫茶である。仏祖家常の四威儀(行・住・坐・臥)、仏祖の言句である喫飯が家常の自由なる活きなのである。 (道元:正法眼蔵・家常)