「家常:天童如浄のことば2」「腹がすいてきたら飯を喫い、疲れてきたら打ち眠る。腹がすく、飢えてくるというのは、飯を喫ってきた人のいとなみである。まだ飯を喫ったことのない人は飢えることはできない、腹はすかないのである。腹がすくののも常日ごろのならわしとなっているわたしどもは、飯を喫ったものにきまっている。疲れてくると、疲れたなと思ってまた疲れているのである。つまり疲れの頭の上を跳びこえて、また疲れがくるのである。この全身のいとなみに振り回されている(無我の境地)のかいまの我が身というものである。また、打ち眼るとは、仏の眼・法の眼・智慧の眼・祖師魔眼・を拝借してむ打ちねむるのである。(道元:正法眼蔵・家常)