「仏祖の家常は喫茶喫飯である。」梢州の真際大師は一人の新しく来た僧に問うていった。「かっては此処に来たことがあるか。」その僧はいった。「はい、かって来たことがございます。」師はいった。「お茶を飲んでゆきなさい。」また、一人の僧に問うていった。「かって此処に来たことがあるか。」その僧はいった。「いえ、まだ来たことはございません。」師はいった。「お茶を飲んでゆきなさい。」この此処とは、到不到に関わらぬ法界のことで即ち仏祖の時処をえらばず勧める喫茶そのものである。(道元:正法眼蔵・家常)
「仏祖の家常は喫茶喫飯である。」梢州の真際大師は一人の新しく来た僧に問うていった。「かっては此処に来たことがあるか。」その僧はいった。「はい、かって来たことがございます。」師はいった。「お茶を飲んでゆきなさい。」また、一人の僧に問うていった。「かって此処に来たことがあるか。」その僧はいった。「いえ、まだ来たことはございません。」師はいった。「お茶を飲んでゆきなさい。」この此処とは、到不到に関わらぬ法界のことで即ち仏祖の時処をえらばず勧める喫茶そのものである。(道元:正法眼蔵・家常)