「枯木の参学について」枯木の仏身は長いものは長いままに、短いものは短いままに、それぞれが絶対なる自己を現し、自己に徹底し自己を解脱している。このありのままの相が、仏の身心の現成である。もし枯木が枯木としてのありのままの存在でなければ、枯木の働きの龍吟はない。(道元:正法眼蔵・龍吟)