「優曇華の花は3000年に一度しか咲かない美しい花」能く仏法を聴くことは得難い。優曇華の花は一切の人々がすべて愛し、手にすることを願う花である。釈尊の云うこの「一切」とは、現身の仏祖、蔵身の仏祖、非情の草木、虫にいたるまでの各々がその皮肉骨髄を、すべて余すことなく全身全心を挙げて活躍させていることをいうのである。だから一切は葉優曇華そのものである。この道理の現成は 優曇華の花が咲くように稀有のことであるといわれたのである。(道元:正法眼蔵・優曇華)
「優曇華の花は3000年に一度しか咲かない美しい花」能く仏法を聴くことは得難い。優曇華の花は一切の人々がすべて愛し、手にすることを願う花である。釈尊の云うこの「一切」とは、現身の仏祖、蔵身の仏祖、非情の草木、虫にいたるまでの各々がその皮肉骨髄を、すべて余すことなく全身全心を挙げて活躍させていることをいうのである。だから一切は葉優曇華そのものである。この道理の現成は 優曇華の花が咲くように稀有のことであるといわれたのである。(道元:正法眼蔵・優曇華)