「心は木石のごとし。」(中国初祖菩提達磨大師のことば)ここにいう「心」とは、心のあるがままの姿である。一切の対立を解脱し心が木石である。大地いっぱいの心である。だから、自己の心でもあり、他人の心でもある。いや世界じゅうの人、あるいは、あらゆる世界の仏祖や、天なる龍などもふくめて、それらの心はみな木石にほかならないという。そのほかには、別の心はなどないというのである。その木石は、当然ながら、有とか、無とか、空とか、色とかのありように捉われない。その木石なる心をもって、人は発心し、修行し、また証得する。心はもともと木石だからである。その木石なる心のちからをもって、いまこの不思量のところを思量することもな成るのである。(道元:正法眼蔵・発無上心)