「大地有情、同時成道という事」釈迦牟尼仏は仰せられた。明星出現の時、我と大地有情と与(とも)に同時成道す。」しかあれ発心・修行・菩提・涅槃は、同時の発心・修行・菩提・涅槃なるべし。仏道の身心は、草木瓦礫(がりゃく)なり、風雨水火なり。之れをめぐらして仏道ならしむる。すなわち発心なり。(道元:正法眼蔵・発無上心)

(釈迦牟尼仏はおおせられた。彼の明星のが出現した時に、わたしと大地や生きとし生けるものは、みな同時に成道した。このゆえに、発心することも、修行することも、正覚を成ずることも、あるいはまた涅槃に入ることも釈尊と同時の成道である。すなわち発菩提心は釈尊と同時の発菩提心であり、同時に発菩提心は釈尊と同時の修行であり、菩提であり涅槃である。仏道において、身心とは、草木瓦礫(がりゃく)であり、風雨水火である。すなわち「あらゆるものごと」なのである。山河大地が自己の身心なのである。同時に自己の身心が山河大地なのである。これを同時という。この自己の身心を転じて仏の身心たらしめるのが仏道であり、発菩提心である。