「坐禅弁道はこれ発菩提心なり。発心は、一異ならにあらず、坐禅は、一異にあらず。再三にあらず、諸分にあらず。頭頭みなかくのごとく参究すべし。(坐禅弁道は、そのまま発菩提心である。発心と坐禅はあるいは同じであり、あるいは異なるといったものではない、それはあれこれというべきものではなく、相分かつことのできるものではない。すべてこのように考えなければならない。(道元:正法眼蔵・発無上心)