「心を拈来すると、心に拈来せらるると、はるかにことなるべし。かくのごとく発菩提心、つまり仏祖現成するなり。」(仏心を自己の身心をもって捉えるのと、仏心によって自己の身心が捉えられるのとは遥かに異なっている。この相違こそ仏道修行上、重大な問題の存するところである。このような発菩提心を自己の身心をもって発することがつもりつもって仏祖が現成するのである。)(道元:正法眼蔵・発菩提心)