「経巻は如来の全身である。経巻を礼拝することは、如来を礼拝したてまつることである。経巻に出会うことは、如来のに見(まみ)えたてまつることである。つまり、経巻は如来の舎利であって、そのゆえに、舎利ということは、この経ということである。(道元:正法眼蔵・如来全身)
「経巻は如来の全身である。経巻を礼拝することは、如来を礼拝したてまつることである。経巻に出会うことは、如来のに見(まみ)えたてまつることである。つまり、経巻は如来の舎利であって、そのゆえに、舎利ということは、この経ということである。(道元:正法眼蔵・如来全身)