「受は苦なり」「受は是れ苦なりと観ずるという」苦はすなわち受である。受とは感覚意識でその感覚や意識は、自己が受けるのではない。感受としてとして本来あるものではない。自己が受け他が受けるものでもなく感受としての本来の有でもなく無でもない。受は因縁によって生ずる受であるからこの受は生身の受である。(道元:正法眼蔵・三十七品菩提分法)