「心の神足」とは、南陽慧忠のことばをもって、牆壁瓦礰ということであり、また、仰山慧寂の表現をかりていえば山河大地である。一つずつの三界ありさまが全て心であり、見られるとおりの椅子や竹木かみんな心なのである。それを思うままに用うるからして、仏祖の心があるのであり、凡夫の心があるのであり、草木の心があるのであり、変化の心があるのである。それらのことごとくの心がみな心の神足なのである。(道元:正法眼蔵・三十七品菩提分法)
「心の神足」とは、南陽慧忠のことばをもって、牆壁瓦礰ということであり、また、仰山慧寂の表現をかりていえば山河大地である。一つずつの三界ありさまが全て心であり、見られるとおりの椅子や竹木かみんな心なのである。それを思うままに用うるからして、仏祖の心があるのであり、凡夫の心があるのであり、草木の心があるのであり、変化の心があるのである。それらのことごとくの心がみな心の神足なのである。(道元:正法眼蔵・三十七品菩提分法)