「喜覚支とは」喜覚支とは、正覚の心、自利他利の心仏の法悦の歓喜の心である。老婆心の切実な地の滴るのごときの心に似るものである。千手観音の掌の眼が一切衆生の苦しみを観て、是れを救い給う心である。雪中に春に魁けて咲き始め、清い香りを漂わせている梅花が正月となれば花も咲きほこって、花の香りも暖かく馥郁と天地に薫り一陽来復の春を慶ぶのである。しかし家の辺は、身も切られるかの厳寒におそわれている。しかし、春に魁けて咲く蕾みに輝く春先の風景は、真に歓喜の風光そのものである。見るもの自ずから微笑みを覚えずには入られない。(道元:正法眼蔵・三十七品菩提分法)