「定覚支とは」人々は、本来、本具の仏性を体験している。自己の身心は即ち仏の心身でめある。眼は眼で自らの「はたらき」をなし、鼻は鼻で自らの「はたらき」をなしている。是れはみな自らの定力の「はたらき」である。自己の定覚は自己の力で引き出すのである。定覚支とはこのようなものである。自己が回向返照して仏心を開発して、仏地に到らしめるのである。(道元:正法眼蔵・三十七品菩提分法)