「正見道支とは、正しく真理を見ることである。全身これ目になりきることである。目とはあらゆるものごとが一体となることである。このような正見の効用は、無限の過去から先験的に体験し、本具すせる仏眼にほかならない。山は高く、河は低いものとしてありのままの現成として見てきたものである。仏祖はみな正見の持ち主である。(道元:正法眼蔵・三十七品菩提分法)