仏道について「そもそも仏道は、はじめて発心したときにも仏道であり、すでに正覚(さとり)を成じた時にも仏道である。初めも中ごろも終わりも、いずれも全て仏道である。それはたとえていへば、万里を行くものにとっては、一歩も千里のうちであり、千歩も千里のうちだというようなものである。初めの一歩と千里の一歩とは違うけれども千里のうちということではおなじでことある。(道元:正法眼蔵・説心説性)
仏道について「そもそも仏道は、はじめて発心したときにも仏道であり、すでに正覚(さとり)を成じた時にも仏道である。初めも中ごろも終わりも、いずれも全て仏道である。それはたとえていへば、万里を行くものにとっては、一歩も千里のうちであり、千歩も千里のうちだというようなものである。初めの一歩と千里の一歩とは違うけれども千里のうちということではおなじでことある。(道元:正法眼蔵・説心説性)