「仏祖と諸法実相」仏祖は如何にしてなるのか。それはあるがままの相(すがた)を究め尽くしてなるのである。あるがままの相とは、もろもろの存在のありようである。もろもろの存在のありようは、このような相であり、このような性であり、このような身であり、このような心であり、このような世界であり、このように雲いたり雨いたるのであり、このように行住坐臥するのであり、このように憂いまた喜ぶのであり、このように拄杖・払子をもちいるのであり、このように花を拈じては微笑するのであり、このように法を嗣ぎ、成仏の予言をあたえるのであり、このように参じ学んで道をわきまえるのであり、また、このように松の操、竹の節儀を身にそなおるのである。(道元:正法眼蔵・諸法実相)