「仏法を学ぶにはいろいろの途がある。そのなかに仏法が判るといい、仏法が判らないという、そこが一つの急処である。もし正しい師にまみえなかったならば、そんなことがあるということさえも知らないであろう。自分のしらないところのことを密語であると理解してはならない。仏法を理解することすができない時、まさにその時が一つの密語というものである。密語はかならず世尊のものであり、世尊に関係したものである。(道元:正法眼蔵・密語)