「先師如淨のことば」「わしのところでは、焼香、礼拝、念仏、看経だというもねのはもちいない。ただひたすらに打ち坐って、道を学び行を修し、身心を脱落するのである。」ここでいう看経とはどうとればよいのか。是れをよく学ばなければならない。脱落の看経というのもあり不用の看経むというものもある。仏道を学ぶうとする者は誰でもかならず、仏の経を伝授し受持してこそ、はじめて仏の御弟子となるのである。あらゆる仏教は、正法の眼目なのである。(道元:正法眼蔵・仏経)