「天童如浄のことば」「夕顔は藤のたぐいで、夕顔にまといついている。」そのことは、一切の無情は、無情であるという道理によって無情説法である。無情は無情のために説法するのである。では、なにを呼んで無情となすか。それは無情説法を聴くものである。ではまた、なにを呼んで説法となすか。それはわれは無情なりと知らざるものがそれである。