「大いなる陀羅尼あり、名付けて円覚となす。ここに大いなる陀羅尼あり、る名付けて人事となす。ここに大いなる陀羅尼あり、礼拝の実現これなり。ここに大いなる陀羅尼あり、その名を袈裟という。ここに大いなる陀羅尼あり、これを正法眼蔵となづくるなり。(道元:正法眼蔵・陀羅尼)
万葉集5「霞立つ 長き春日の、 暮れにける わづきも知らず、 むら肝の 心をたみ、 ぬえこ鳥 うらなき居れば、 玉たすき かけのよろしく、 遠つ神 吾が大君の、 行幸の 山越す風の、 獨居る 吾がころもでに、 朝夕に かへらひぬれば、 ますらをと 思へる我も、 草枕 旅にしあれば、 思いやる たづきを知らに、 網の浦の あまをとめらが、 焼く塩の思ひぞやくる、 吾が下こゝろ。」解釈「霞の立つ長い春ののいつのまにか暮れてしまったとも気づかぬばかりに、胸いたく、ぬえ鳥のむせびなくように、ため息をついてすると、天皇の行幸になった山を越えて吹く風が、朝晩に自分の着物の袖に吹きかえるのでりっぱな男子だと思っている自分も旅の空にいることこととて、秋思をはらしやるすべも知らないままに、網の浦に海人の少女が焼く塩ではないが、思いにこがれることだ。心の底深く」