「三沐(ゆあみ)三薫ということ」「仏はいった。「三たび沐し、三たび薫ずれば、身心清浄なり。」だからして、身を清め、心を浄める法は、かならかならず一沐しては一薫し、それを重ねて三沐三薫して、仏を礼し、経を披(ひら)き坐禅し、あるいは経行するのである。経行をおわって、再び端坐し坐禅しようとする時には、かならず洗足するという。足がなにかに触れて汚れたというのではなくとも、仏祖の作法がこうなっているからである。三沐三薫というのは、一沐とは一沐浴である。身体全体をひたして沐するのである。そうしてのち、いつものように衣服を着てから、ちいさな炉に香をたいて懐のなかや袈裟や坐所などまで薫ずるのである。そうしてのちまた沐浴してまた薫ずる。そのように三度するのが作法にかなっている。そうして清浄の力はたちまちにして現れてくるのである。それが仏法というものである。(道元:正法眼蔵・洗面)

万葉集8 額田王歌「熟多津(にきたづ)に 船乗せむと 月待てば 潮もかなひぬ 今はこぎ出な」解釈「熟田津で船出しようと、月を待っていると、潮も船出に適する高潮となって来た。いまは漕ぎ出そうよ」