「面授」「釈迦牟尼仏の面を礼拝するとき、その時、51代の仏祖や、あるいは七仏などが、そこに並んでいるのではない。並んでいるわけではないけれども、同時に面授があるのである。たとえ一代といえども、師をみなかったならば弟子でもなく、また、弟子を見なかったならば師でもない。この道においては、かならず互いに見かつ見られて面授してきたのである。法を嗣ぐというのも、この仏祖の面授したもうところにそのことがなるのである。だから。、嗣法とは、如来の面の光をじきじきに把握するほかならない。(道元:正法眼蔵・面授)
万葉集15「わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 まさやかにこそ」解釈「海上に高くたなびいている美しい雲に入日がさしており、今夜の月はどんなにさやかにあることか」