「面授の正法」「面授によって正伝される正法は、釈迦牟尼仏その人よりも、もっと身近にして親しみ深い。それは眼の前に何度でも釈迦牟尼仏をらわしてくれるのである。だからして釈迦牟尼仏を重んじ、釈迦牟尼仏をお慕い申し上げるには、この面授によっる正法をたっとび、滅多に遇いがたいものとして、敬重し礼拝するのがよろしい。それはとりもなおさず如来を礼拝することであり、如来の面授を頂戴することにほかならない。(道元:正法眼蔵・面授)
万葉集16「冬こもり 春さり来れば、 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ、 咲かざりし 花も咲けれど、 山を茂み 入りてもとらず、 草深み とりてもみず、 秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみじ)おば 取りてぞしのふ、 青きをば おきてぞ嘆く、 そこし恨めし 秋山吾は」
解釈「冬枯れの木も繁る春になってくると、鳴かなかった鳥も来て鳴いた。咲かなかった花も咲いたけれども、山が茂って、入っても取らず、草が深くて取ってもみない。秋山の、木の葉を見ては、色づいたモミジを取って賞美する。まだ色づかぬ青葉をそのままにしては嘆く。そのてんは恨めしいが。秋山よ。わたくしは。