「面授の功徳」釈迦牟尼仏が迦葉尊者に面授し付属するにあたっては、「われに正法眼蔵あり、これを摩訶迦葉に付属する。」と仰せられた。また 嵩山の集会にあっては、菩提達磨尊者は、まさにしく二祖慧可にしめして「汝はわが髄を得たり」と仰せられた。正法の眼目を授け、わが髄を得しめるのは、ただこの面授によるのである。まさにその時に及んで、汝かこれまでの骨髄を抜けきったとき、仏祖が汝に面授したもうのである。それは、大悟を面授するのであり、心印を面授するのであるが、それは一部の特別のことである。すべてを尽くしたというわけではない。まだ悟らないことについては、必ずしもかかわらないのである。(道元:正法眼蔵・面授)
万葉集17「味酒(うまざけ) 三輪の山、青丹(あおに)よし 奈良の山の、山のまに い隠るまで、道のくま い積もるまでに、つばらにも 見つつ行かむを、しばしばも 見さけむ山を、心なく 雲の 隠さふべしや」
解釈「美しい三輪の山、あの山が奈良の山の山の間にかくれるまで、長い道の幾曲がりを重ねるまで、しみじみとふりかえり見ながら行こうものを、幾度も幾度もふりさけて眺めようと思う山であるのに、その山を無情にも雲が遮り隠すという事があるべきか4」