「古仏如淨との面授」「およそ仏祖の大道においては、ただ面授と面受のみである。面に受け、面に授けるのみである。そのほかには、なんの余計なものもなく、それで欠けるところもない。そのような面授をいただくことがきた自己の面目というものも、また大いに歓び、また大事にしなればならない。わたくし道元は、大宗の法慶元年乙酉5月1日、はじめて先師なる天童如浄古仏を礼拝して面授を得た。その後もまた随時の入室を許され、いささか従来の身心を新たにすることをえた。かくて、その面授を大事に保ちつづけて、日本国に帰った。(道元:正法眼蔵・面授)

万葉集18反歌「三輪山 しかも隠すか 雲だにも 心あらなも かくさふしやを」解釈「三輪山をあんなに隠すのか。せめて雲だけでも思いやりがあって欲しい。あんなに隠すという事があるべきであろうか」