「坐禅の仕方2」諸縁を放捨し、万事を休息すべし。善也不思量なり、悪也不思量なり。心意識にあらず、念想観にあらず。作仏を図することなかれ。坐臥を脱落すべし、飲食を節量すべし、光陰を護惜すべし。頭燃をはらうがごとく坐禅をこのむべし。黄梅山の五祖、ことなるいとなみなし、唯務坐禅のみなり。」「もろもろの世縁を払いすて、万事を抛げすてるがよい。善きことも思わず、悪しきことも思わないのである。それは心や意や識のことでもなく、念や想や観の問題でもない。また、仏になろうということを考えてはならない。坐るの臥するのといったことも思いははなつがよい。飲食は量を節するのがよく、時間は大事にして無駄にしてはならない。なにはともあれ坐禅をこのむがよい。黄梅山の五祖もそうであった。ただ坐禅につとめるのみであった。(道元:正法眼蔵・坐禅儀)
万葉集「額田王作」「茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流」(茜さす 紫野ゆき 標(しめ)のゆき 野守は見ずや 君が袖振る)解釈「紫草栽培の禁園を彼方此の方にゆきなかせら野守は見るではございません。君が袖を振っています。」