「仏道を究明する為の確かな道は、坐禅の工夫である事をよく知るがよい。その目当てとなる主旨は、仏に作(な)ることを求めるのではなく、仏のふるまいを行ずることである。そのふるまいを行ずることは、決して仏に作ることではないから、もうすでに真実は現れているのである。この身のままが仏であって、さらさら仏に作るのではない。あれこれの計をうち捨ててみると、坐ったままが仏で、仏に作ることも別に妨げないこととになる。(道元:正法眼蔵・坐禅箴)
万葉集51「采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたずらに吹く」(采女の袖を吹きかえす明日香の風も今は都が遠くていたづらに吹いている。)
万葉集53「藤原の 大宮仕へ あれつぐや おとめが伴は 乏しきろかも」(藤原の大宮に、つぎつぎに生をうけて、宮仕する少女たちは羨ましいことだ)